〈叱る依存〉のメカニズムに目から鱗ー『〈叱る依存〉がとまらない』
さて今回ご紹介するのは、こちら!
臨床心理士・公認心理師、村中直人さんの『〈叱る依存〉がとまらない』
🔽著者、村中直人さんが気になる方は、こちら
先生が生徒に、コーチが選手に、上司が部下に、親が子どもに…叱るケースは色々想像できますが、
特に親として「叱ったことがない」「叱られたことがない」なんて人は、少ないんじゃないでしょうか。
『叱ること』がもたらす効果・影響・メカニズムに目からウロコの一書でした。
子育てや、部下への接し方などお悩みの方には是非一読いただきたい。オススメです。
叱ることは必要なこと?
あなたは”叱ること”が、子育てや教育、また忍耐強さなど学ぶ上で、必要だと思われますか?
私は正直に言いますと、「叱る=正義」、「絶対に必要」とまではいかないものの、必要な部分もあるのではないかと考えていました。
ただそれは漠然とした感覚で、年齢を重ね、今思えば「叱られた経験も必要だったのかな?」、「叱ってくれた人のおかげもあって今の自分がある」といった経験からによるものです。
しかし私も子を持つ親になり、叱る側になって子供たちの反応、また自分の心情を鑑みると、
どうも子ども(相手)のためにも、自分のためにもなっていないような感覚に襲われます。
そんな矛盾を抱えながら、「この子のために正しておかねば」といった気持ちと、相手と自分にイライラした気持ちを止めることができず、叱るモードになっている自分がいます。
自分で言うのもなんですが、私は基本的に温厚な性格で、他人に対し厳しい物言いや、声を荒げたりすることはありません。
ただ一時期、子どもに対してのみ不思議なほどに叱るモードになってしまう自分に戸惑い、また厳しく叱った後はひどく後悔もしていました。
昨今、叱らない子育てや教育・指導が良いことは当然のように主張されていることなのに、
かたや「叱ること」の必要性の意見、個々人のそういった感情も根強くありますよね。
個人にとどまらず、社会全体もこの矛盾に惑わされている気がしてなりません。
「叱ること」を正しく認識しよう。 〜叱られる側にもたらされるもの〜
「叱ること」がどのような効果をもたらすか。
まずは叱られる側を見てみましょう。
結論から言えば、叱られる側は全くと言っていいほど、メリットがありません。
- 恐怖心
- 拒絶
- 自己肯定感の喪失
こういったネガティブな感情が生まれる効果しかなく、叱る側が期待している教育の効果はありません。
でも”叱られたこと”があって成長したって経験もあるんじゃない?
叱られた経験はその人にとって衝撃が大きく、印象に残るものなので、そのように思いがちですが、これは大きな勘違い。
成長に繋がったのは、あくまで自身が反省して成長しようとしたからです。
そこには自主的な感情、行動が伴っています。
「叱られること」が無くても、それは実現可能です。
「叱られた」から『イコール反省、成長』ではありません。
でも印象が強い感情であるがゆえに、後から振り返ると「叱られたこと」がきっかけのように錯覚してしまう。
これは叱る側も同じで、「やっと伝わった」「厳しく叱った甲斐があった」などと「叱ること」が正しいことのように感じてしまう落とし穴があります。
ネガティブな感情しか生むことのない「叱られること」。
自主的な感情、行動から生まれる「反省」「成長」。
確かに矛盾を感じます。
「叱ること」で”強制”はできるのかもしれませんが、”教育”にはほど遠いことがわかりますね。
「叱ること」を正しく認識しよう。 〜叱る側にもたらされるもの〜
さて、主題の叱る側の話に移りましょう。
まず大前提として、「叱る側には、権力があるということ」。
この認識、自覚を持つことは非常に大事です。
当たり前ですが、上司や目上の人を叱ることなんてしませんよね。これはちゃんと自分の立場が分かっているからです。
逆に言うと叱られる側は、叱る人に対して基本的には逆らえない。力の差があると感じていることを理解しなければいけません。
無意識でも叱る人は、”自分に力がある”、”自分の立場が上である”、”自分が正しい”と思って、
立場が下の人に対して「叱る」という行動を起こしてるってことですね。
さて「叱ること」で叱る側にもたらされるもの。
それは、叱る側のニーズ(必要なもの)を満たす為にあります。
- 他者への変化への願い
- 自己効力感
- 処罰感情の充足
要は、「叱ること」は、他者(叱られる弱い立場の相手)に変わって欲しいとの自身の思いを叶えるものであり、
相手が服従することで、自分の行為が役に立ったと感じ、相手の悪いことを正したという満足感を得られるのです。
手前勝手な行動のように感じる!
しかも残念なことに、叱られる側はネガティブ感情が生まれるだけで効果はないわけですから、
叱る側のこの満足感も長続きしません。
「叱ること」で、叱る側にもたらされるものは悲しいかな一時的な効果しか生まないのです。
叱られる側は、ネガティブな感情を生むだけ。
叱る側が得られるものも、一時的な満足感。
「叱ること」は、誰も得することのない行為と言っていいでしょう。
ただ唯一、「叱ること」が有効になるケースがあります。
それは、”危機介入”の時です。ここでいう危機は自傷他害、つまり人を傷つけたり、瞬間的に止めないと事故になってしまう状況です。
しかしこの場合も危機がある状況を脱すれば、すぐ「叱ること」をやめることがポイントです。
本当に危険な瞬間のみ「叱ること」が必要。
使い分けができるよう意識していきたいものですね。
とまらない〈叱る依存〉とは?〜依存のメカニズム〜
本書のもう一つのキーワードである『依存』。
『依存』と聞いて、思い浮かぶのはやはり『依存症』ではないでしょうか。
アルコール、ギャンブル、タバコ、薬物、スマホ、SNSなど挙げだしたらキリがないですよね。
意志が弱く、快楽に溺れていることを依存と思われている方も多いとは思いますが、
人は無意識のうちに自分自身の苦痛を和らげてくれるものに依存する。と言われております。
著者は、「叱ること」(=叱る側にもたらされるもの)も依存性があると言える。と指摘しています。
- 他者への変化への願い
- 自己効力感
- 処罰感情の充足
正しい事を行なっているという感覚は、自身の苦痛を和らげ、正当化する心理と考えられます。
私自身の経験から、親子の関係が特に陥りやすいように感じました。
「子どものため」、「親として」といった心情(愛情、責任感など)からの
『叱ること』はいつしか常態化し、親にとって無くてはならないものに錯覚していくように思います。
『叱る依存』は誰にでも起こり得るものであり、個人でも社会でもその認識を持つべきと著者は主張されてます。
〈叱る依存〉を”手放す”ために
では、〈叱る依存〉に具体的にどう対策していけば良いのでしょうか?
著者は、〈叱る依存〉の予防に必要なのは、禁止の発想ではなく「手放していく」発想と主張されてます。
必死に「叱る」を禁止して、言いたいことを我慢してしまうようなやり方はあまりうまくいかない、と。
辛抱して、よりストレスが溜まってしまう…結局耐えきれず、どこかで爆発してしまう。
経験あることです(~_~;)
成功イメージは、
「気がついたらあまり叱らなくなっていた」であって、
「叱ることを我慢できるようになった」ではないと、述べられてます。
【叱る依存を”手放す”ために】
- 「叱る」に効果があるのは、”危機介入”の時のみと認識する。→危機介入の状況が過ぎれば叱り終わる。
- あなたが「権力者」であることを自覚する。→相手に「こうなってほしい」から「こうあるべきだ」にすり替わると『叱るモード』に。
- 「普通」「常識」「当たり前」の言葉を使わない。→多様性を理解して、その人にとって合う方法を考え続ける。
これまで説明させていただいた「叱る依存」のメカニズムを理解し、相手にとって効果のある方法を模索(やり方を工夫)していくことが大事になりそうです。
自分は相手に「どうなってほしいか」。相手は「どうありたいと考えているのか」。
一方的な「普通」「常識」「当たり前」を基準にするのではなく、
お互いの”ありたい姿”を理解していくことが、叱るを”手放す”ポイントと著者は主張されてます。
【〈叱る依存〉に悩むあなたへ】〜何よりもまずご自身を大切に〜
いかがでしたでしょうか。
著者は、みんなで「叱る依存」を正当化する社会の病を危惧され、
『「叱る」に対する社会の認識をアップデートしたいという、非常に高い目標を掲げた本でもあります。』と本書の目的を語られています。
その想いが切々と伝わる非常に感慨深い内容でした。
そして〈叱る依存〉に悩む読者へ向け、「何よりもまずご自身を大切に」との温かいメッセージが綴られていました。
🔽紹介した内容以外にもたくさんの心理学根拠から〈叱る依存〉に切り込まれています。
私自身、〈叱る依存〉のメカニズムを知り、「叱る」とうまく付き合うことを想像し、
心が軽くなり、「よしやってみよう!」と力を与えてくれた一書となりました。
親として、人として、未熟ながらも一歩ずつ成長していきたいものです。
良書との出会いに感謝。ではまた〜(^^)v
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